スタッフ

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共感疲労

朝にVoicyを聞きながら長女を送っていったり出勤したりするんだが

 

今朝は共感疲労や生死についての話が頭の中に残ってて

 

共感疲労って最近はキーワードとして出てくる機会も増えてるみたいだが

 

共感疲労とは最近もあった震災や事故などで相手へ過度に感情移入してしまい

 

大丈夫かなって心配が強くなったりして自分自身が疲労してしまうことで

 

昔はテレビの情報が主だったからテレビを消せば情報は遮断されたが

 

最近はネットやSNSで情報が常に流れていたりして嫌でも情報が入ってきたりする

 

他人は他人、自分は自分と考えられる人は疲労しにくいんだろうが

 

どちらがいい、悪いってことではなく、

 

前者は相手のことを思いすぎる反面、疲れやすく

 

後者はしっかり自分を持っていて自分は自分、他人は他人で切り分けられていている状態で

 

冷たく思われるかもしれないが、相手のことを思ってないわけではなく

 

自分と他人を切り分けることができるか、できないかってことのよう

 

自分に子どもがいたりすると、子どもの痛ましいニュースふれるたび

 

その先のことまで想像してしまってぐったりしてしまうそう

 

私も少し前まではニュースや人に対して感情を揺さぶられることも少なくなかったが

 

嫌われる勇気って本を読んでから少し変わった気がするし

 

いろんな書籍やいろんな人の話を聞くなかで考え方が変わってきた気がする

 

やっぱり自分に関わってくれている人のことは気になるし大事にしたいし心配になるが

 

自分に何かできることがあれば動けばいいが

 

できないのに過剰に心配したり不安になっても

 

自分がもたない、、、疲労するって思ってから

 

自分と他人を切り分けられるようになったかな

 

利用してくれている子どもたちや保護者のことも然り

 

心配はしてるし何かできることやこうしたらいいんじゃないかってアドバイスはするが

 

結局、最終的に決めるのは本人であって、自分たちにできることはやって

 

あとは流れに身を任せるというか、本人が決めた決断に寄り添うというか

 

悩みすぎてもしょうがないって割り切るくらいでいいのかな

 

考えることはやめないにしても、心配や不安は増大させないように

 

死ってことも人によって価値観はそれぞれだが

 

今は医療が進歩してるからいろんなことを期待してしまうが、、、

 

その過剰な期待も疲労というか不幸になるんじゃないかって思う

 

再生医療が進歩してもやっぱり障がいはゼロにはならないと思う

 

だからやっぱり今の状態で、できることは何かを考えること

 

足は動かない、でも口や手は動く、、、

 

だったら何ができるか、どうできるか、、、

 

そっちを考えることが幸せに生きる道じゃないかな

 

人はいつか死ぬ

 

効率的に生きるなら、生まれてすぐ死んだらいい、、って

 

ある本の帯に書いてあって、、、(またその本についても読んで紹介するつもりだ)

 

ウイルスはなくならないし、いたちごっこで

 

いろいろわかってきてもなお、、、いつまでマスクするかな

 

私は人間らしく生きて、死にたい

 

別に長く生きたいとも思わない

 

ただつまらないのに長く生きてるなら

 

短くても楽しい、人間らしい生き方を選びたい

 

何度も言うが、人はいつか死ぬ

 

長く生きれば幸せ、短ければ不幸じゃない

 

どうやって生きたいか、どうやって死にたいか

 

じっくり考えてみるのもいいのかもしれない

 

最近読んでいる本もそんなことを考えさせられることがあるので

 

改めて書いてみたい

 

こんな最後まで読んでくれたアナタを尊敬します!

 

ありがとうございます!

 

天気が悪い、、、、さ、こんなときに何ができるか考えてみよーー

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