スタッフ
先日もとある方と話をしていて感じたことを
セラピストの方だったが
まだ20代くらいの方
話の中で「療育手帳Aレベルの子」って言い方をされて
なんか子どもを知的レベルでみてるなって思って
ついつい『その診方で子どもを見ないほうがいいですよ』って伝えた
医療職あるあるっていうか、ある程度の状態を共有して示す言葉としては間違えてないし
ひとりひとりの子どもをみるときに、頭の中には疾患から想定できることはあるが
その診方から入ると子どもの全体が見えないよなー、見なくなるよなーって思って
自分の考えを伝えたが、ちょっと否定したような感じになってしまったのは申し訳なかったなと思った
どうしても治療として、リハビリとしてって考え方があるのは理解するけど
うちの仕事をするうえでは、局所だけでなく俯瞰して全体をみる必要があって
治療だけしていればよいわけではない
間違えて受け取ってほしくないが
歩けるようになる、走れるようになることが本当に幸せか?って問いが必要で
何でもかんでもよくすることだけを保護者もその子も考えると
どこかで行き詰る
当然だが良くするってことは大前提で、良くしないわけではない
良くすることと並行して考え方も変えていかないと後で苦しむかもしれない
これまで福祉に関わって感じる
もっとひとりの子どもの幸せとその家族の幸せを考える
障がいのあるこどもはずっとリハビリしないといけないの?って思うこともあって
確かに二次障害や三次障害を防ぐためには大事だが
必要性がないのに親もセラピストも依存してしまってはいけないと思う
障がいがある=リハビリをするになってはいけない
我が子が病院でリハビリをうける意義ももちろん考えていて
今はバギーや座位保持などの福祉機器をつくるためだと思っていて
リハビリは家でも自分でやろうと思えばやれなくはない
でも福祉機器の制度をうけるには病院しかできない
この制度も変えられないかなと思っていたりする
福祉のなかで自分たちがみれないかなーと思っている
あれこれ問い合わせて検討してるが医師の協力も必要だし
しっかり継続してできる形にしないといけないと思ている
セラピストと言えどアプローチは様々でいろいろ学びになることも多いから嫌だとは思わないし
客観的に診てもらっているのはありがたいなーと思う
我が子になるとついつい想いが強くなりすぎて考え方が偏りがちになるからね
治療って大事だって大前提で
もっと深い部分で考えなければ本当に幸せになれないような気がする
簡単に語るとやけどしそうな内容、、、、
またじっくり語りたいと思う