スタッフ
いつもくだらない内容ばかりのブログ
誰が見てくれているかもしれないブログ
他でもない自分自身のアウトプットの機会のためにやっているようなものだが
それはそれで私にとっては大事だったりする
何かと吐き出したいこともあるんでね(病んでるのかな、笑)
たまには真面目に、、、いつも真面目にしろ、笑
高校3年生になる長女
いわゆる脳性麻痺ということで
産まれたときから発達に遅れがあるかもしれないことを伝えられた
それからいろんなことをやってみて
子どもの成長に少しでもつながればとやってきた
つもりだ
そして自分自身も理学療法を学び
それが子どものためになればと思ったし
何より知らないことが嫌だったのもある
知ってみたところで治せない歯がゆさもあり
じゃあ何が大事なのかなって改めて考えてみる
長女が産まれて18年を過ぎた
初めは医療のこともわからないから
そのうち発達も追いつくかなって思ったときもあった
でも、2歳くらいになっても座ることも難しく
もちろん歩くことができない、話をすることができない
我が子を見て、良くも悪くも諦めることができた
もちろん今でも
長女がおはようって言いながら朝起きてくるんじゃないかと
思う日だってある
医療を学んでもなお
治せない病だって多くあることを知った
病院で働いて様々な病で入院して治療をうける方々とも関わらせてもらった
諦めたのが良かったというと聞こえが悪いかもしれないが
治らないのにいつまでも頑張るんじゃなくて
もっと「できること」や「楽しむこと」にシフトした方がよいということ
いつか治るかもしれない希望も大事かもしれないが
現代医療ではどうしようもならないこともあり
やっぱり人はいつか死ぬし、それは誰も避けられない
リハビリを頑張れば歩けるとか、何かができるようになるなら
頑張ることも大事だが
現代医療で無理なことを頑張るより
楽しんだもん勝ちってこと
私の言う諦めるというのは
考え方をシフトした方がより幸せであるということをさしている
だから、私はこれまでの経験を活かして
障がいのある子どもや保護者には
楽しむことを優先してほしいと思う
良くなると思うことに囚われない
あまり期待しないことも大事
近くに相談したり話をしたりする人がいることは必要で
一人で考えすぎない、悩みすぎない
そのために療育やリハビリがあると思ってもらえたら
機能がよくなることよりも
少しでも困らず悩まずできることを楽しんで生活していくためにある
歩けるようにしてほしい、麻痺をなくしてほしいって思うのは悪くないが
期待し過ぎない、他にどうやったらいいか、できることが増えるかを考える
私もこれまでの時間の経過があったから
こんな考え方ができるようになったかもしれないが
それを少しでも早く知って
悩まず、苦しまずに親も子もそれぞれの人生を生きてほしいと思うから
決して希望をなくすってことじゃなく
考え方を変えると新たな希望がみえてくる
目的を達成する方法はひとつじゃないんだよ
歩くとは目的じゃない、移動のための手段だって捉えればね
利用してくれている保護者や子どもたちと
楽しく笑顔で生活できるように
こんな考え方も上手く伝わるといいな、
なんかまとまりませんが、このへんで終わり、笑